▼プロフィール▼


ここでは、私(ミーヤ)について書きたいと思います。
見てもらえば分かるとおり、比較的分かりやすい人でしょ?(笑)




管理者のネーム:(暴走戦士)ミーヤ (現在では面どくさいので、省略している。(笑))
性別:男
年齢:22歳 (某T大学グループの1つに通っている)
住居地:千葉県は千葉市のどこか (千葉駅伝の最終区間の道路が近くに走っている)
趣味:ゲーム、インターネット、ホームページ作成 

好きな食べ物:バナナ、桃、卵、いくら、ショートケーキ、プリン、ヨーグルトetc
嫌いな食べ物:スイカ、メロン、パパイヤ、ピーマン、とろろ芋、オクラ、皿うどん
好きな漫画・アニメ:封神演義、スレイヤーズ、絶対無敵ライジンオー(懐かしいねぇ・・・)
好きなキャラ:リナ=インバース(スレイヤーズ)、太公望(封神演義)、OMIくん(Weiβ)、マルチ(To Heart)
好きな曲:夢冒険(酒井法子)、夢を信じて(徳永英明)、夢は終わらない(よーみ)
好きなゲーム:DanceDanceRevolution(1st,2nd,3rd,4th,solo)、
         beatmania(1〜5,コンプリート1&2,UDX,V)、DMX2ndMIX
         ドラゴンクエスト3、ファイナルファンタジー(4,5,6)、テトリス
         テイルズシリーズ(ファンタジア,デスティニー,エターニア)
         電車でGO!(1,EX,2,3000番台,3,ダイヤ改正バージョン)


☆ちょっとした説明☆

 1.‘ミーヤ’という名前の由来

  この名前の大元は、実はコナミの『ツインビーパラダイス』というラジオドラマの
  第1話で出てきたキャラクターの名前なのです。(CV:伊藤美紀)
  そのキャラが気に入った俺は、その当時やっていた『ガープス・ルナル』という
  TRPG(テーブルトークRPG)のゲームで、その名前を使ったキャラを
  使用していました。(本来は男の子なのだが、女性にしていたりして・・・(^_^;))

  その後、そのキャラは初期設定のせいか、はたまた俺のプレイのせいか、
  色々な目にあい、『ツインビーパラダイス』に出てきた本家のキャラとは、
  似ても似つかないキャラになってしまいました。(笑)
  しかしながら、その時プレイしていたキャンペーン(複数の話で完結するもの)が
  約1年と長くなったためか、いつの間にやら、このキャラに対する愛情みたいなものが
  湧いていたのです。(普通なら絶対にありえないんですけどね。)
  それからというもの、『ガープス・ルナル』の別のキャンペーンで遊ぶ機会があるときに、
  たまに登場させ、「前のキャンペーンから、こんな感じで成長した」という設定をを
  わざわざ考えて、それを実際に反映させて使っていました。

  そしてある日(2年前ぐらい)、当時DDRを猛烈にプレイしていた(その理由は次項で)俺は、
  当時、巨大プロジェクターの設置してあったデジャ・ヴー(幕張店)で練習していました。
  そして、そこに音ゲーを楽しむ人たちのための書き込みノートの存在に気づき、
  中身を見て、「楽しそうだな〜」と思った俺は、書き込みをすることを決意。
  しかし、肝心のハンドルネームが無い・・・
   一応、某ラジオ番組で使っていた‘猿文字猿太郎(さるもんじさるたろう)’というのが
  あったが、「さすがにDDRには合わんだろう」ということで別のを探していた。
  そこで脳裏をよぎったのが、‘ミーヤ’だったのだ。
  ただ、それだと他にも同じ名前の人がいるかもしれないと思い、TRPGで使っていた
  キャラの‘キャンペーン中に作り上げられたイメージ’と、俺の性格を考えて、
  ‘暴走戦士ミーヤ’という名前に決めたのである。
  それからというもの、その名前で書き込みを続け、少しずつ活動範囲を広げていき、
  現在に至るのである。

  まさに、この名前のおかげで、ここまで来ることができたのである。
  もし無かったら、ずっと家に1人でこもってた暗い人間になってたかもしれない・・・




 2.DDRを始めたきっかけ

  俺がDDRの存在を知ったのは、3年前の(確か)8月頃。
  近所にあるムー大陸(稲毛店)に突然、大きな派手な筐体が登場した。
  しかし、当時まったく音ゲーに興味の無かった俺は、ただのうるさいゲームとしか
  とらえていなかった。(実際、あんまり遊んでいた人を見た覚えが無い)

  ある日、知り合いとムー大陸行った時に‘それ’を勧められ、嫌々プレイをする事になる。
  しかし、リズム感も無い、運動オンチな俺ができるのだろうか・・・
  案の定、一番簡単な曲でボロボロになっていた。
  その後、しばらくは「このゲームそのものを見たくない」と避けていた。
  そしてしばらくして、それは一時、姿を消すことになる。

  更に時は流れ、(確か)11月頃。それは帰ってきた。
  ‘DanceDanceRevolution Internetranking version’という名前になったそれは、
  以前に見たときとは違い、もの凄い人だかりができ、beatmaniaとはまた違った
  音楽が大音響で流れ、筐体の上では、楽しそうに踊っている人がいた。
  しかし、まだその時には‘やる気’というものが全然無かった。

  そして12月頃、以前DDRに誘った友人に「DDRがまた入ったよ。」と言ったら、
  「じゃあ、やりにいくか。」と言われ、またやらされるハメになる・・・
  しかし、この時は以前とは違い、比較的やり易く、楽しめてしまった。
  これをきっかけに、「ちょっと練習してみるか」という心が目覚め、丁度冬休みに
  入ったのを利用して、人がほとんどいない開店したばかりの時間を狙って、
  ちょっとずつ練習することになる。

  年を越し、1月。「いい加減に上手くならんと!」ということで、この頃から本格的に
  練習を開始。人前だろうがなんだろうが、とにかくひたすら練習しまくったのである。
  翌2月、前述にあった知り合いと共に海浜幕張にあるゲーセンで練習を開始する。
  というのも、実はその当時、ここ(デジャ・ヴー)ではDDR2ndMIXのロケテストが
  行われていて、それも併せてプレイするために行っていたのである。
  しかし、DDR1stのHardで苦労していた俺にとっては、DDR2ndのnomalでさえ
  もの凄く高いハードルに感じられていたのである。それなのに、その知り合いは
  無理やりHardモードを選んで、‘DUB−I−DUB’を選曲。
  ‘90度踏み’がまともにできない俺は、当然その時点で死亡同然。(E判定)
  しばらく、その状態が続くことになる。
  それでも何とかプレイできるようになった3月。
  ついに、その知り合いよりも先に、‘DUB−I−DUB’でフルコンボを達成。
  ここから、競争心というのが湧き出し、更に練習に拍車がかかることになる。

  その月の終わり。東京ゲームショーが開催される。
  ゲーマーがたくさん集まるこのイベント、当然、幕張メッセの近くにあるデジャ・ヴーには、
  大勢のプレイヤーがDDR2ndMIXの筐体前に行列をなしていたのである。
  もちろん、巨大プロジェクターのあるゲーセンなど、他には無かったというのも
  理由の1つではあるが。
  東京ゲームショーに行った俺たちは、やはりプレイするために寄ることにする。
  その時のデジャ・ヴーにはDDR2ndMIXの筐体が5Fに1台、6Fに巨大スクリーンで
  1台設置してあったのだが、さすがに上のやつではプレイする気が起きず、
  下でプレイする。この時は、俺が初めて‘PARANOiA MAX 〜dirty mix〜’を
  出すことに成功したものの、やはり初めてプレイするBPM190のスピードは辛かった。
  ‘DUB−I−DUB’のパートで見事に撃沈。冷たい視線が、俺たちを取り囲んでいた。
  それから逃れるように、6Fへ。やはり行列ができていたのだが、しかしいつの間にやら、
  5Fのほうに人が流れたのか、それほど人がいなかった。
  そこで、俺たちは並ぶことにする。

  しばらくして。当時はマニアックをプレイできる人が少なかったのだが、
  そんな時にマニアックを選択する人が登場する。何を選曲したのか覚えていないが、
  安定して得点を稼いでいく。そして、最終曲で‘PARANOiA MAX’が出現。
  知り合いに、「これ見てみな。凄い譜面が流れてくるから。」と言われ、
  「どんな譜面なんだろう?」と思いながらプレイを見る。
  そして、その問題の場所(通称:パラマックスの滝)へ。
  さすがに、あの譜面を初めて見た俺には笑うしかなかった。
  しかしその人たちは、その部分を‘DENGER!’の表示が出ながらも何とかクリア。
  その時には、周りから「おおっ!」という歓声があがった。
  そして・・・ついに‘PARANOiA MAX’クリア。周りから盛大な拍手が湧き起こった。
  この時、俺の心では、「半年後のゲームショーの時には、絶対にこれをクリアして、
  同じように拍手を湧き起こしてやる!」という強い決意が生まれたのである。

  それからというもの、毎日ゲーセンに通いつづけ、DDR2ndMIX LINK.versionが
  動き出した頃には、‘PARANOiA MAX(basic)’もクリアできるようになり、
  最初に誘ってくれた知り合いの実力を、完全に抜きさっていた。

  その後、、最初に誘ってくれた知り合いはDDRを完全にやめ、
  俺1人で練習をすることになる。お金を少しでもDDRにつぎ込むため、場所は海浜幕張から
  千葉へ変え、もくもくと練習を続けていった。

  そんな、ある夏の日。
  久々に海浜幕張に行きたくなった俺は、デジャ・ヴーへ。
  以前とは違い、ある程度やり込まれていたせいか、人はあまりいなかった。
  それをいいことに、俺は巨大プロジェクターのほうの筐体で練習をしていた。
  その後、疲れて休むために近くにあったテーブルで休むことにする。
  そしてそこに、見慣れないノートを発見。当時、書き込みノートというものの存在を
  知らなかった俺は、もの珍しそうに閲覧をする。色々とDDRの事が書かれている。
  楽しみながら読んでいて、「俺も何か書こうかな?」と思い、書き込みをする。
  それが、現在の海浜幕張のメンバーと知り合うきっかけの始まりだったのである。

  <続きは、また今度書きます。疲れた・・・(所要時間:4時間)>




  

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